むぎ(C.C.Cats)の2024年05月のヒメログ

2024年05月

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出勤情報

05/29 -
05/30 17:00-22:00
05/31 14:00-22:00
06/01 -
06/02 -
06/03 17:00-22:00
06/04 -

気になるあの子の日記帳 ヒメログ

  • 2024-05-26 12:57:25

    わろうてくれるな人のフェチを

    悲しいかな、SMはバラエティシーンでは嘲笑の的になりやすい。日本では、にしおかすみこのなんちゃって女王様ネタが十数年以上前に大流行した。海外ではNETFLIXオリジナルドラマBONDING(邦題:ボンディング〜男と女の事情〜)でも取り上げられた。親友でビジネスパートナーだった女王様とコメディアンのゲイの男の子の話である。最終的にコメディアンの男の子がスタンドアップでSMプレイについてのネタを披露し、大勢の前でM男たちを笑い者にするようになったのをきっかけに、2人は仲違いする。その女王様の視点で描かれる変態たちを笑いのネタにするスタンド・アップコメディはとても悲しかった。身近な存在だと思っていた親友が突然非常識な差別主義者になったような、全く違う世界にズレていってしまうシーンは見ていてとても悲しい。しかし「変態プレイなんておかしいでしょ?」という感覚も同時に身に付けている私達にとって、そのスタンド・アップコメディがウケる理由もわかる。そこも含めてなんともやり切れない気持ちになった。私は職業柄、Mな性質を持った男性と接することも多ければ、私自身も物心ついたときから周りとのズレを感じてたため、こういうシーンを見ると自分と周りが笑われているような気がしてしまう。さらにSMは格好の性産業(餌食)だ。ワキガや、脇毛の生えた女性や、足の匂いが強烈など、一般には欠点だと思えるような特徴が、マニアたちによって瞬く間に安くないお金に変換される。脚フェチの業界なんかはそれが如実に表れている。マニアな層にウケるように、延々とストッキングとパンプスの着脱を撮影しているアカウントはあっという間に伸びる。局部を顕にすることはもちろん、一切足以外の容姿は公開しない。そもそも女性の素性なんて気にしていない。なぜなら足の匂いがしそうな写真だったり、生暖かい質感が写真から伝わればいいのであって、彼らは脚単体で興奮する性質を持ったフェティストだからである。余談だが、最近電車に乗っていてスレンダーな女性がミディアムぐらいの丈のオフィスカジュアルのスカートに、黒ストッキングとピンヒールを合わせていた。その透け感といい、質感、脚の形状的に「ああこの人は脚フェチでいけばすごい売れるだろうな」ということを反射的に考えてしまった。そのぐらいに私は日常生活にフェチズムを探している。そういったSMが「売れる」ものであるのに勘づいただけの人達が作るコンテンツは、私達プロから見てすぐに見抜ける。何のオブラートに包まずに言うとすれば、サムいのだ。スベっている。たとえば、脚フェチにとって大切なのが質感であるにも関わらず、カメラマンさんがその脚のラインの細い美しさだけが引き立つ撮影をしていた時。そのフェチの人が欲しい「本質」からズレたものに焦点を合わせたコンテンツになってしまう。それを「強烈脚フェチ向け」というマニア向けのタイトルにしてしまうから、その温度差に身震いしてしまう。コンテンツだけならまだしも、こういう現象はSMプレイヤーたちにも時々見られる。前置きは長くなってしまったが、今日はこのことを書きたかった。C.C.Catsは20年続くいわゆる老舗のM性感だ。講習も手厚く、技術のあるキャストのお姉様たちばかりだ。私が初めて入店した日、その雰囲気の持って行き方と技術に目を丸くした。今まで私が見てきた、やってきたプレイなんて恥ずかしくて見せられないとさえ思った。それを知ってか、「勉強のために」と足を運んでくださる男性も多い。レベルは色々あれど普段はSをしているが、この日だけはM女性の気持ちを知るためとか、Mの可能性も探りたいと殆どは善良な向上心を元手に来店してくださる。詳しくは伏せるがSMを仕事にしているプロのS男性が先日数名連続で来店した。いわゆる新人の登竜門として、当店を利用されているらしい。そこまでなら勿論、いつもどおり勉強で使って下さるのだと、何の問題もなかったのだがこの日は様子が違った。当店のカウンセリングシートを書き込む姿(及び内容)を撮影して、勝手にあちらのお店の日記のネタにしたり、「俺のお店にもサービスを受けに来てよ」とキャストにサービスを勧めてきた。その時の日記を拝見したが、いわゆる「変態なプレイを受けに行っているオレ(本心で楽しんではない、勉強しにいっただけ)」といった感じの内容だった。さらに接客時間外にキャストのお姉様に「ツイキャスコラボしてください」と打診までしてきた。意味がわからない。明らかに私たちの仕事を尊重していない発言だ。当店に来店し、そういう言動をした彼らは「仕事のためにSMをしている」と言っていた。だから鞭や蝋燭、落書きを受けたかったそうだ。しかし、M性感の本質はそういう、なんちゃって変態プレイでは決してない。縄や蝋燭、手枷なんかよりも必要なのは「支配されること」「弄ばれること」「女性の手によって開発される」という趣旨である。その核の部分を道具を使うだけで手に入れられるわけがない。それを実現するためには信頼関係と、身を預けてもいいと安心させられる空気作りが必要だ。私は彼らの行動から、SMやそれに随伴するフェチズムを軽んじている印象を受けた。商売の道具としての側面しか見ていないから、形の美しさにしか目がいかない。前述した脚フェチを撮れないカメラマンと同じだ。その姿勢は彼らの店を利用するM女性に対しても失礼ではないのかと疑念さえ覚える。またこのようなプレイに対する不誠実な行為は、彼ら自身の首を絞めることになる。変態プレイを見下している姿勢でいるということは、自身の変態性を真っ向から否定もしくは無視することになる。私はよく「普通のセック.スも好きだよ」と口にするが、行為の最中数え切れないくらいに達する。ただ数えられないぐらいにもうずっとイッてると、普通の人には到底見られない反応をしている。全身震えて、汗をかくし、初々しい喘ぎ声ではなく、もう声さえ出せなくなり、たまに意識がトぶこともある。だがこういう私の普通のセック.スは、いわゆるキ.メセクとしてAVでパッケージされているようなジャンルだろう。(むぎは決してキ.メてはない)。大抵の男性なら「行為の最中は女の子にいっぱいイッてほしい」と望むだろう。だがそういう一般的な性癖でさえ、そういった異常性癖をはらんでいる。普通のセック.スとは、多少なりとも異常を孕んでいるのである。だがそうあるべきなのだ。街で普通に歩いている人たちが、全て白いシャツとジーンズでは無く、十人十色の各々の個人の趣味を服に反映させているように、性行為も同じように人の数だけ違っていなければおかしい。変態を嘲笑し、自身の変態性を否定するということは、明日から白シャツとジーンズしか着ないと自分に枷を付けているようなものである。知らず知らずのうちにバ.カにしている人自身の「普通のセック.ス」をも否定し、抑制しているのだ。人間の三大欲求とはよく言ったもので、私にとっては食事を馬.鹿にする人たちを見ているのと同じ感覚だ。人は食べなきゃ生きていけないのに、食事を軽んじる行為と同じで、性を笑い者は性に泣く。他者を尊重できる人は、巡り巡って自身を尊重することができる。逆に言えば、目の前の人間を尊重できない人は、自身の生きづらさになるのである。どうか人とは異なった性癖であることが嘲笑の的にならない世の中に発展して欲しい。性癖のあり方も、他者のセクシャリティや外見と同じように敬意を示し、デリケートに扱うべきだ。少しでも私と友人たちが幸せになれることを心から願う。

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  • 2024-05-26 02:28:32

    ドミナント

    今日初めて一本鞭で流血させた。あんなに血を出させる作りの一本鞭は嫌いで、あえてそういう類のお道具はずっと避けていたのに、とりあえずボコボコにしたいという欲が体裁を取り繕おうとする自分よりも勝ってしまった。もちろんイライラしたからとかではない。このマゾと何度もこうして顔を合わせてきて、お互いに調子が良かったり悪かったりする様子も見てきた上でのことで、今日はマゾ側の体調がすこぶる良さそうだった。愛情表現としてハードめな加虐を選ぶことができたのだ。 私は時々、特に生理前などの性欲が高ぶった時には無性に、相手のことを支配したり、相手に意見を一切出させないぐらいに高圧的になりたくなることがある。 普段だと「絶対にそんなことをしてはいけない」という自分が勝つが、いまはとてつもなくリミッターが外れているのを感じる。 多分支配されたい顔した子猫みたいなやつが今目の前に現れたら、すぐに自分のものにできる自信がある。相手に有無を言わせず、支配し、レイ.プして「自分はむぎさんのものです」って心の底から言えるようになるまで追い詰める。 いつもこのぐらいリミッターを外せたらいいのにってよく思う。「優しい自分で居なくては」「正しい自分で居なければ」そういうリミッターが私の良さであり、私のストレスの大半の元凶である。 結局、鞭を打つ時のように「この身体の部位は避けよう」とか、この人はここまで踏み込まれたら嫌かなとか、そんなことばかり考えて、目の前の人と距離をおいてプレイをしてしまう。 もっと自分の好きなだけ男の人を支配できて、あなたの人生に踏み込めたらいいのに。私生活の時間なんてあなたにはないぐらいに、私のものにしたい。最近はそのために宝くじ当たらないかな、なんて考えている始末である。お金が有り余るほどにあれば、マゾたちの人生を買い取れるから。 バイセクシャルな私だが、不思議なことにこの感情は女性に対しては持つことがない。多分私が生まれ持って、もしくは生育環境のせいかは知らないが、男性のことを見下しているからなんだと思う。 女性のほうが上で、男性はあたりまえに私達の言うことに従うべきなのだと、何も包み隠さずに言えば、そういう差別意識みたいなものが私の根底にある。 そのために女性は男性よりも弱く生まれてきたとさえ思っている。外見が弱そうという先入観はそれだけで、相手を惑わすことができるからだ。 そういう自分のズレた思想を隠すために、普通の恋愛では従順な女のフリをしたことも何度かあった。 でも決まって最後は「私がこんなに合わせてM側を演じてあげているのに、どうして目の前の男はこんなに偉そうなんだろう」ということに耐えきれなくなり、セック.ス上のパワーバランスも私が持たなきゃ気がすまなくなってしまって、長く続くことはなかった。 男性の演じる"男性の強さ"に、うんざりしていた。私にとって男性は弱い生き物なのだ。どんなに厚い面の皮で隠しても、結局出てくるのは、弱さなのに、それを隠そうとしてけったいだな(不自然だな)と感じる。 逆に、私の言う事を聞いてくれる男性に対してはいくらでも愛情を注ぐことができる。私の前で男としての自分の弱さを認めているからだ。 普通の女性にとっては格好の悪い面かもしれないが、私にとってはそれが「ずっとこうありたかった」正しい完成形なのだ。男の強さに合わせるのが、ずっと不自然だった。 あなたが私に身を委ねて、支配させてくれる瞬間はすごく安心する。 支配される側の人もよくこの安心感を口にする。例えば私の足下にいるときや、私がマウントを取る体制になったときだ。「むぎさんが上になると安心する」とよくマゾたちは口にする。 この2人で共有している安心感は、本当に人生で一番リラックスできた瞬間に近いように思う。今まで恋い焦がれてきた恋愛が実ったような高揚感に近い。 自分のありのままの姿を目の前の人に受け入れてもらえる体験というのは、泣くほどに尊い。この心地よさがいつか消え去ってしまうなんて考えたくもない。終わってしまうのが怖いほどの体験を大人になってからもできるなんて、歪な性癖を抱えた私達のような人間というのは、きっと普通の人よりも幸福な生き物なんだろうなと感じている。 どうか私としかできないプレイをこれからもしましょう。 私は抑圧した日々を過ごしている反面、いつだって支配される側の貴方を欲している。

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  • 2024-05-24 14:58:31

    お知らせつめつめ

    今日は受付終了にしてます(コソッ)明日25日(土)はお仕置きBARで私がママの日だよ四谷オールインで19:00〜23:30で開催しているので、私とお話したい子やお尻ペンペンされたい子は来てね。お尻ペンペンされたいor(したい)女の子も沢山来てくれるイベントなので、お行儀よくですよ〜♡‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐来週、リピーターさんが沢山予約してくれて嬉しいな♡27日(月)17:00〜18:00 or 21:00〜22:0028日(火)受付終了29日(水)リクエストがあれば出るかも!30日(木)17:00〜22:0031日(金)16:00〜22:005月ラスト、えっちで意地悪なことしていっぱい遊びたいよ〜イベントでもプレイでも、みんなに会えるの楽しみにしています。いつもありがとう。

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  • 2024-05-11 04:17:54

    ありのままで居られる幸せ

    皆さんお元気に過ごされていますか。巷では悲しいニュースが流れていますね。お金を貢いだのに、~をしてくれなかったから刺してしまった、若い女性が推しやホストの男性のために過剰にお金を投入したことなどが次々と悲しい事件に発展しています。また男性から搾取する方法を書いた情報商材を販売した若い女の子が逮捕されていましたね。昔から惚れた腫れたというのが人の感情を一番かき乱すものであるのは、世の常ではありますが、それにしても昨今の男女の人間関係の在り方は常軌を逸しているような気がしています。この問題の所在は、義理人情や色恋云々ではなく、「好きでもないことを好きなフリをしてしまうこと」だと私は思っています。私がSMクラブにいた時代、よくストーカー気質のお客さんにつくことがありました。SNSでブロックしても再度何食わぬ顔で予約を取ってきたり、顔写真等を一方的に送り付けた挙句、嘘をついて会いに来る人達です。クラブにいた時代が楽しくなかったわけではないのですが、こういう事態にしてしまった自分のブランディングの甘さについては今でも反省しています。新人の頃は必死で業界に馴染もうとして、自分の色々なことを偽っていました。この前の日記でも少し触れましたが、ペニバンが気持ちいいとか、エッチなことが好きとか、そういう自分の能動的な情欲さを出すことができなかったし、人をペットにしたりすることがさも楽しいかのような売り込み方をしてしまいました。女王様になるために自分の好きでもないことを好きと公言してしまい、そういう私の姿を信じたお客さんと当時マッチングしてしまったことについては私に過失があります。予約してくれて、目の前に現れるM男性は私の虚像を見ているなと常々感じていました。頭の中で想像した都合のいい女子大生女王様です。だからプレイ中も、そのほかの会話も「あれ、どこかかみ合わないな」という不自然さを感じていました。普段の会話からかみ合っていないからこそ、ストーカー気質のお客様が居たのも納得できます。M性感に移ってからは、私がちゃんと調教してきた子は決まって「むぎさんのマゾってこれから(自分で)言ってもいいですか?」と私に許可を求めてきます。どこに出しても恥ずかしくない子で尚且つ私が愛情を抱いている子にだけは、「いいよ」と許可を出しています。「むぎさんのマゾです」と一方的に言われて、「お前は私のマゾじゃないだろ、ビッチが」と普通に怒ることもあります。そういう風にして、なるべく目の前の人に嘘をつかないことを大切にしています。プレイ中の設定に沿って話すというよりかは、なるべく私に会いに来てくれる子の間では誠実でいてあげたいなと常々思っています。安易な思わせぶりな態度はしない代わりに、私が本当にプレイ中に楽しいと思ったり、ドキドキしたり新しく感じたことは素直に伝えるようにしています。一度マゾから「むぎさんの前で男性に抱かれてみたいです」という相談を本気でされたことがあります。そうしてみたいと思った理由や、心境の過程を丁寧に伝えてくれました。自身のみっともなくて恥ずかしいマゾ性を痛いほど自覚しながら、勇気を出して私にさらけ出してくれました。私なら信頼できるプロの方に頼んでプレイを手配してあげることもできるし、それを見学しながら罵るというプレイも叶えられたと思います。きっとそうすることがお客さんに対しては最善の対応だったはずです。ですがその相談には「もしむぎさんが気乗りしなかったり、何か思うことがあればご意見を伺いたいです」と追記されていました。なので私は「自分の抱いている男が、他の男に抱かれて気持ちよくなっているのを見るのは嫌だ。そこまで私は貴方のことを抱いて満足できていない。今はまだ普通にそれを見たら嫉妬してしまうと思う」と正直に答えました。マゾは「少しでもむぎさんのことを不快にしたり、辛い思いをさせてごめんなさい」みたいな返事をしてきたと思います。私はこういう会話をできることを心から幸せなことだなと日々感じています。クラブ時代の私では到底できなかったことです。目の前の人と、目線を合わせながら誠実で素直な自分で居られるって、プレイ抜きにしても大切なことだと思います。どうか私に会いに来ることがあれば、ありのままの気張らない貴方を見せてください。最初は緊張してしまうかもしれないけど、沢山会話を重ねて、貴方が安心して自分のことを話せるような関係性を築いていきたいです。もしそのままの貴方の姿を見て、ダメだなと思ったら叱るし、お仕置きをしますが、これもSMを通じてできる素敵なコミュニケーションだと思っています。辛いことが多い世の中ではありますが、少なくともどうか私の前では貴方がありのままの自分を出すことができ、私の下が安心できる場所になりますように。

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