SP企画

風俗にまつわる有名人のコラムコーナー

kaku-butsuカクブツJAPAN〜俺にも言わせてくれ〜

kaku-butsuにゆかりのある人物が、週替わりで、時に熱く、時にクールに風俗に限らず世の中(ニュース、カルチャー、スポーツetc...)について、語り尽くすコラムコーナー

第11回の「kaku-butsuジャパン」は、文筆家のせきしろさんが初登場!その独特な世界観から綴られる文章は「kaku-butsuジャパン」とどんな科学反応を起こすのでしょうか。必見のコラムです。

せきしろ

文筆家
せきしろ

文筆業。小説やエッセイなど多方面で活躍。著書小説『去年ルノアールで』はドラマ化もされ、「無気力文学の金字塔」と各方面で話題になった。他の主な著書に『不戦勝』『妄想道』などがある。また、『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(ともに又吉直樹との共著)で自由律俳句に、『ダイオウイカは知らないでしょう』(西加奈子との共著)で短歌に、他に『煩悩短編小説』(バッファロー吾郎Aとの共著)などがある。

小保方さん以外について〜自転車編

2014/05/01(木)

文筆家 せきしろ


久しぶりに自転車を買った。最後に買ったのは確か高校一年の時だから20年以上ぶりである。
一気に行動範囲が広がった。電車より自転車の方が早い場所もある等の発見もあった。前々からそれなりの知人に「どうして自転車買わないの。都会こそ自転車でしょ。自転車があれば行動範囲が広がるよ」と言われていて、実際その通りになったことが悔しくもあり、今度会った時に「そんなに広がらなかった」と嘘を言うことに決めている。
子どもの頃はよく自転車に乗ったものだ。汽車は走っていても電車は走っていない北海道の片隅では、子どもの移動手段は自転車か親が運転する車しかない。自由度で言えば断然自転車である。車は親の都合に合わせる必要があるからだ。
最も古い記憶の自転車には補助輪が付いていた。他の子どもたちの補助輪が外されていくのを見ているうちに恥ずかしくなり、自分も外したくなった。しかし外してすぐに乗れるわけではない。
そこで近所にあった学校のグラウンドで自転車に乗る練習をした。補助輪を外した自転車にまたがり、父親に後ろを押さえもらってゆっくりと進んだ。自転車を漕ぎながらずっと父親が手を離したらどうしようと考え、恐怖しかなかった。
「手を離さないでよ!」
私は何度も言った。「手を離さないでよ!」「手を離さないでよ!」「絶対、手を離さないでよ!」と言い続けているうちにいつの間にか父親は手を離していた。手を離すなと言っているのに手を離すなんて、まるでダチョウ倶楽部のようだなと今となっては思う。
小学校にあがると自転車講習があり、安全運転と手信号を叩きこまれた。左に曲がる時は左手を水平に伸ばし、止まる時は左手を斜め下に伸ばした。手信号をし忘れ、それをクラスの誰かに見られてしまったならば、すぐに告げ口されホームルームで槍玉にあがった。そのため、小学生の頃が最も自転車の安全運転を心掛けた時期だったといえる。
中学生になっても変わらず自転車に乗ったが、手信号はしなくなった。「そんなかっこ悪いことができるか」という一念からである。思春期の訪れだ。それでもきちんと手信号をする者はいた。私はそんなクラスメイトの男子を見るたび「お前、まだ手信号してるのかよ」と馬鹿にした。
今、私はその人が自転車乗車時の事故で亡くなっていないことを祈っている。私が馬鹿にしたことで手信号を止め、それが原因で事故に遭ったとなると、少なからず自分に非がある気がするからだ。また、馬鹿にされても手信号を止めなかったにも関わらず事故に遭ったとなると、彼の真面目さが報われなかったことになり、それはそれで辛い。その他の原因で亡くなったならば、仕方ない。 中学生にもなるとさらに遠くへと行くようになり、行動範囲がキロメートル単位で広がった。私が住んでいた町の外れに、営業しているのかそれとも閉店しているのか判断付かないドライブインがあって、そこに成人向け雑誌の自動販売機があった。私は友人達と何度も訪れた。
北海道の冬は早く、10月にもなれば「雪虫」と呼ばれている小さな虫が舞い始め、自転車を漕いでいると自然と口に入ってくることがある。その度に虫を吐きだして、同時に白い息も吐き出しながら成人向け雑誌のために必死に漕ぎ続けたものだった。
高校生になると自転車は通学に使うようになり、朝と夕方、学校と家を往復した。通学路の途中に長い坂があり、行きは己に挑戦するようにムキになって自転車から降りずに漕ぎ続けた。特に同級生の女子がいると、平気な顔をして追い越した。
「あの人、この長い坂を自転車で登れてしまうんだ! 素敵!」
そんな羨望の眼差しが向けられていると信じて漕いだ。
帰りは下り坂が繰り出すスピードに身を任せた。景色が左右に分かれて流れて行く。それを楽しんでばかりいたために何度か轢かれそうになった。
また、坂の上から自転車を走らせ、漕がずにどこまで進めるのかを試したりもした。極力ブレーキは使わず毎回記録を更新できるよう頑張った。
「あの出光の看板のところまで行けなかったら世界が滅亡する!」
そんなことを思ったのは良いが、さすがに世界滅亡は怖くなり、自転車が到達することを願った。意に反して徐々にスピードが弱まっていく自転車のハンドルをこまめに操作して「出光まで進め!」「出光まで進め!」「絶対、出光まで進め!」と強く願った。
しかし自転車は止まった。進めと言ったら進まなくなるなんてダチョウ倶楽部みたいだと今となっては思うが、そんなことよりこの先世界が滅亡したら、それは私の責任かもしれない。