SP企画

風俗にまつわる有名人のコラムコーナー

kaku-butsuカクブツJAPAN〜俺にも言わせてくれ〜

kaku-butsuにゆかりのある人物が、週替わりで、時に熱く、時にクールに風俗に限らず世の中(ニュース、カルチャー、スポーツetc...)について、語り尽くすコラムコーナー

せきしろ

文筆家
せきしろ

文筆業。小説やエッセイなど多方面で活躍。著書小説『去年ルノアールで』はドラマ化もされ、「無気力文学の金字塔」と各方面で話題になった。他の主な著書に『不戦勝』『妄想道』などがある。また、『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(ともに又吉直樹との共著)で自由律俳句に、『ダイオウイカは知らないでしょう』(西加奈子との共著)で短歌に、他に『煩悩短編小説』(バッファロー吾郎Aとの共著)などがある。

小保方さん以外について~スナイパー対策編

2014/10/24(金)

文筆家 せきしろ


おかしな夢を見た。
ゆっくりと眠りから覚めていく中で、おかしな夢を見たということだけは覚えているものの、その内容はどんどん忘れていく。所々の記憶が抜け落ち、断片的にいくつかのシーンが残り、そのシーンを繋ぎ合わせてなんとか夢を思い出そうとするも、あっという間にそれさえも消えてしまう。やがて、意識がはっきりした頃にはもうすべて忘れてしまっている。ただ、おかしな夢を見たことは覚えている。それもすぐにどうでも良くなる。夢の話をする人もいなければ、夢の話を聞かされるのも好きではない。
目覚めるといつも、何か忘れている気がする。仕事の締め切りがあった気もするし、約束があった気もするし、何かチケットを取らなければいけなかった気もする。
そもそも何曜日かわからないので、枕元にあった携帯を見る。缶や瓶を捨てる曜日だと気づき、たまっている缶を捨てに行かなければと思うも、面倒で仕方ない。何も缶を捨てる日は今日だけではない。また来週捨てる日はやってくる。捨てれば良い。そう考えて、捨てに行くことを諦める。
カーテンの向こうは秋晴れの気配がする。身体を起こし、カーテンを開けるとやはり晴天で、晩秋の空が見える。
私は腰掛け、ベランダの窓から外を見る。
まずは狭くて薄汚れたベランダが見える。エアコンの室外機があり、干しっぱなしの洗濯物がふたつ見える。数日前に干した、もういい加減乾いているはずのタオルと靴下だ。明日こそは取り込もうと思っているうちにずるずるとそのままになってしまっている。
視線を部屋に戻すと、洗ったのは良いが畳まずに積み重なった洗濯物が見える。その山は久しぶりに見る親戚の子どものようにいつの間にか大きくなっている。驚きだ。
子どもの頃、親戚に会うたびに「大きくなったね」と言われ、毎回同じこと言ってるなあ、他に言うことないのかなあ、実感も無いしなあ、などと思っていたが、あの頃の親戚の気持ちが今ならわかる。この洗濯物の山はもっともっと大きくなり、それを見るたび私は「大きくなったなあ」と思い、やがて私の背を越すだろう。
視線を再び外へ向ける。またベランダが見えて、洗濯物が見える。タオルは去年行った日帰り温泉で買ったもの。靴下はいわゆるスニーカーソックスで、靴を履いて歩くといつも脱げるものだ。
さらに向こうに建物がいくつも見える。何軒か先の民家の庭に果実がなっている木がある。何の果実かそばに行って調べようと思ってみたが、これも面倒になって行かないはずだ。去年も同じことを思ったらわかっている。あれは柿ということにしておこう。きっと渋柿だ。ブドウならすっぱいブドウだ、
風の音はしない。どこからか微かに電車の音が聞こえる。それが上りなのか下りなのかはわからない。救急車のサイレンの音がして、すぐに聞えなくなる。
見える空がとにかく青い。この部屋とは対照的に澄み切っている。こんな空を見ると、無性に郷愁にかられる。たとえベランダで切り取られてしまった空だとしても昔のことを思い出す。小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃、大学生の頃、何もしていなかった頃、その時見た空に似ているというだけで記憶が蘇る。
夢の記憶は蘇らない。
何分間か空を見て、私は窓の向こうに向かっておもむろに手を振る。知り合いがいるわけではない。それどころか人は誰もいない。だけど私は手を振るのだ。
なぜなら、ライフルで私を狙っているスナイパーがいるかもしれないからだ。
私をスコープで見ているスナイパーは、突然手を振られ驚くはずだ。「あいつ気づいていたのか!」と。この瞬間「あなたが狙っていることはわかっているんですよ」と、スナイパーより私の立場が上になる。腕の立つスナイパーであればあるほど悔しがる。私の中のスナイパー像はだいたいプライドが高めの人だから、気づかれた時点で撃つことをやめるだろう。もしかしたら引退するかもしれない。その場合、手を振った私が引導を渡したことになる。スナイパーが千代の富士ならば、私が貴乃花だ。
とにかく私はいつもこうやって手を振るのだ。万が一いるかもしれないスナイパー対策として。これは小学生の頃からやっていて、何度か授業中にやっているのを先生に見つかって怒られたが治らなかった。手を振ることを止めた時に限ってたまたまスナイパーがいたらどうしようと考えたら辞められないのだ。きっと一生このままだろう。
将来、老人ホームの窓から空を見る。あるいは病院のベッドから見る。今日のような青い晩秋の空。その時感じる郷愁は、今以上なのか、それとも今がピークであり、何も思わなくなっているのか。どちらかわからない。
いずれにせよ私はその時も手を振るだろう。